役員紹介
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理事長 清水 陽一 元在ミュンヒェン総領事館総領事 国際交流基金の一員として、長年諸外国との国際文化交流に従事。特にドイツとの縁が深く、同基金ドイツ支部である「ケルン日本文化会館」に二度、1978年4月から1983年9月までは事業企画担当、1993年4月から1996年9月までは館長として勤務。その後、外務省に転籍し、2002年7月から2004年10月まで「在ミュンヘン日本総領事館総領事」として勤務。2005年2月から2007年3月まで、ドイツの国際文化交流機関である「ゲーテ・インステテュート」ミュンヘン本部において、客員スタッフとして、ドイツの文化交流の戦略について研究、さらに2009年4月から2012年3月まで「ベルリン日独センター副事務総長」。 1985年ドイツ連邦政府より、日独間の文化交流を通じた両国民間の相互理解増進に寄与するところ大として「連邦功労十字章」、1998年「連邦功労大十字章」の叙勲を受ける。 チロルとの縁は、先ずオーストリア・チロルとはスキー・ツアーが中心で、レアモース、キッツヴュール、キュータイ、ゼーフェルト、エッツタール等の各地でスキーを楽しむ。次にイタリアの南チロルとは、1978年初秋、旅行ガイドの写真の余りの美しさにメラーンの上部にあるドルフ・チロル(チロル村)に家族で2週間滞在。眼をやるところ全て、写真を上回る美しい風景に感動し、またイタリアとオーストリアの良いところを併せ持った豊かな食文化、美味しいワイン、良く整備された数々のハイキング・コース、そして温かい人情等々、家族全員この世の楽園のような南チロルへ足を伸ばし、また雄大な山岳美を満喫できるドロミテで山岳ドライブ、さらにコルティナ・ダンペッツォーでスキーを楽しみ、南チロルに浸る。 |
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専務理事 鈴木 剛夫 元NEC理事(ヨーロッパ統括顧問) ミュンヒェンに勤務中、オーストリアからブレンナー峠を越えてイタリアに足を伸ばした彼は、イタリアに入った筈なのに、道路標識が引き続きドイツ語で書かれていることに疑問を持ち、宿泊したホテルでその理由を尋ねて納得した。イタリアの北部一帯は、つい先頃までは、ハプスブルク帝国内のチロル大公領だった由にて、歴史を紐解けば、〈チロル伯爵領〉がその源流だと教えられた。そこの住民は、その殆どが今でもドイツ語を話すドイツ系の人々であり、第一次世界大戦でオーストリアが敗戦国となって、チロルの南半分がイタリアに割譲された結果、建国以来初めて、チロル大公領は北と南とに分断され、今日に至っているとか。また、彼は、メランに滞在中に、エリザベート皇妃公園で皇妃の彫像に出会い、他国の皇妃の彫像が何故、イタリアにあるのかの疑問を抱き、その理由を紐解いて、今日のチロル観光の先駆けとなってチロルの名を広めた皇妃に深く、敬愛の情を抱くに至った。彼とチロルとの繋がりは、それらが契機となり、その後、彼は、彼の地に在勤中、時間を見つけては南北チロルに赴き、その渓谷という渓谷に踏み入り、ケーブルというケーブルに乗り、今や、チロルを隈無く踏破したと豪語する御仁になっている。今でも、年に一度はチロルに訪れるという彼は、日本人の中では一番、チロルに詳しい人物と自負するまでに至り、本人は〈Tiroler in Japan =日本のチロル男〉と自称している。 |
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理 事 〈中部本部長〉 | 森井 隆則 | 元愛知県警察本部警視長 |
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理 事 〈観光大使〉 | 早川 秀樹 | (株) ペリエ代表取締役 |
理 事 〈ヨーロッパ本部長〉 | 立川 秀矢 》Profile |
元博報堂ミュンヒェン支社長 |
理 事 〈甲信越本部長〉 | 宮本 和彦 | (株) 共和コーポレーション代表取締役 |
理 事 〈中・四国本部長〉 | 岡田 拓志 | (株) ゼムス代表取締役 |
理 事 | 髙杉 濤平 | 元三菱東京UFJ銀行ミュンヒェン出張所長 |
監 事 | 功刀 榮夫 | 功刀榮夫税理士事務所長 |